国吉 勝治(くによし しょうじ)さん
昭和13年、千葉県市原市生まれ。9歳で多発性関節リウマチを発症。20歳の時から施設での生活を続け、昭和43年、当時市内高根にあった身体障害者療護施設「県立さがみ緑風園」に入所。その後、重度障がい者の自立生活運動に携わるなかで、昭和61年日本初のケア付き住宅「コーポ・シャローム」(市内青葉)の設立にも参加。以来、障がい者の自立をテーマに活動を続け、また市内の小・中学校などで、障がい者に対する理解やバリアフリーの街づくり等の講話活動にも取り組まれている。
障がい者の自立の問題を考えるようになったきっかけは?
9歳で多発性関節リウマチを発病し、少年期はほとんど寝たきりの生活を送っていました。20歳の時に入所した伊豆の国立伊東重度障害者センターでリハビリを受けて、車いすを使うことが出来るようになったことが転機となり、自分の中で新しい価値観が芽生えました。最初の思いは「とにかく施設の外に出たい」というもので、ある時センターの職員に「宇佐美の花火大会を見に行きたい」と相談したのです。職員はいろいろと調整してくれて海辺の花火大会を見物することが出来ました。その時、花火の素晴らしさに感激したのはもちろんですが、何よりも自分の思いが形になることの喜びと施設の外の世界に触れて様々な経験をすることの素晴らしさを実感しました。もっともっといろいろな物を見て、触れて、感じたいと考えるようになりました。実際に詩吟、アマチュア無線、短歌、囲碁、写真などなど様々な趣味にも積極的に取り組むようになり、自分の世界を広げていくことが出来ました。
その後、施設から在宅での生活へ移られたのですね?
さがみ緑風園での暮らしを続ける中で、障がい者も施設ではなく、地域で自立した生活を送るべきである、そして自分のことは自分で考え、決定し、行動していくことが大切であるとの思いを強くしました。設立に協力したケア付き住宅「コーポ・シャローム」も障がい者自身が介助者を自分で雇って共同で暮らす場という、当時としては画期的な取り組みでした。私自身もさがみ緑風園を退所して「シャローム」に入居し、在宅生活を経験しながら、障がい者にとっての自立生活とは何かを考える機会を積む中で、それを社会に伝えていく必要性にも気づき、大学や専門学校などでも講義をするようになりました。
在宅生活を送るうえで大切なことは何ですか?
在宅生活を送るというのは、その街やそこに暮らす人々と関わるということです。そこでシャロームで暮らし始めた最初の頃、地域を知るために時間が許す限り電動車いすで散策しました。最初に気がついたのは道端に投げ捨てられた空き缶の多さです。美観を損ねるのはもちろんですが、車いすで通行する上でも障害物になります。どうしたらこの空き缶を減らすことが出来るだろうかと考えて、いろいろな方たちと相談した結果、光が丘の地区社協や自治会そして市役所、警察など多くの方々と一緒に街並みを点検しながら空き缶拾いなど清掃活動を行う「ふれあい交流会」を始めました。地区内の路地をくまなく回って、車椅子や杖を使っている人などにとって危険な箇所はないかチェックして、曲がっている看板があればすぐ直したり、交通標識が壊れていたら警察に修理をお願いしたり、障害のある人もそうでない人も一緒になって地域全体でバリアフリーの街づくりを考える取り組みです。障がい者にとっては、こうした地域での交流、連携も大切だと感じています。
子どもたちや地域の方々に伝えたいことは?
小学校、中学校で子どもたちにお話をする時も自分の生い立ちや在宅での生活、地域との交流など自分自身の体験談を通して障害のこと伝えます。いろいろな話をさせてもらうのですが、一番伝えたいこと、分かってほしいことは「物事を先入観なく見てほしい」「いろいろな物に興味、好奇心を持ってほしい」ということです。「障がい」や「障がい者」を特別なものとしてとらえずに偏りの無い価値観を持って欲しいと思います。それと地域やご近所との交流です。人との出会いはあいさつから始まりますから、「おはようございます」「こんにちは」とまず声をかけてみる、簡単そうで難しいことかもしれませんが、心がけてほしいと思います。
国吉さんのようにご自身の体験をふまえて障がい者の問題を語ってくれる方の存在は貴重です。これまでの生き方だけでなく、今後の目標や夢なども話される国吉さんの笑顔はとても素敵でした。今は写真にハマッているとのことで、市社協ホームページの「いいひと写真館」への自作の掲載もお願いしました。皆さんも楽しみにしていて下さい。