兼久 ユリ子(かねひさ ゆりこ)さん
昭和28年沖縄県生まれ。
昭和49年、相模原に転入。その後、平成6年に津久井町又野に転居。幼い時分の曾祖母・祖母との暮らし、会社員時代の奉仕活動、子どもの成長などをきっかけに、個人でボランティア活動を開始。入浴ボランティアや障害児の通学付き添いなど、様々な活動を継続的に実施、平成11年には、又野地域の高齢者のいこいの場として、高齢者サロン「優遊クラブ」を設立。
現在、「優遊クラブ」、矢車草の会(車椅子レクダンス普及会)の活動を支援しながら、津久井町地区社協の又野支部の委員としても活躍されています。
福祉やボランティアに興味を持ったのはなぜ?
幼い頃、私は足の不自由な曾祖母や祖母と一緒に暮らしていました。また、近所には小児マヒや聴覚に障害のある友だちがいて、手話のように身振り手振りでコミュニケーションをとって、遊んでいました。高齢者や障害者とも自然に接する幼少期があったことが、福祉等へ興味を持ったきっかけだったなと思います。
その後社会人になって、駅前の清掃活動や児童養護施設の訪問などの奉仕活動を行う中で、自然と「自分に合っている」のではないかと勝手に思いました(笑)。
子どもは、早産でしたので、まずは子育てに専念しようときめましたが、同じ悩みを抱えたご家族や、お子さんたちと同じ病院内で接していたことが、今の大きな原動力になっているような気がしています。
津久井での取り組みを教えてください。
私が津久井に引越したのは、平成6年で、住んでいる所をよく理解するには、ボランティアが一番早いのではないかと考えて、家族にも理解を得て活動しています。
以前は、高齢者等の入浴サービスの介助ボランティアやお子さんの学校への送迎付き添いなどを行っていました。
最近では、毎週火曜日に又野自治会館を借りて高齢者のおしゃべりサロン「優遊クラブ」を開催しています。また、ボランティアセンターから依頼を受けて協力しているものには、児童の通園付き添いなどがあります。
あくまでも個人的に、自分の出来る範囲でお手伝いをさせていただくように心掛けています。
ボランティア活動を続けて良かったことは?
私はできないことは、できませんとはっきりと言う方で、自分の気持ちのおもむくままに活動するようにしています(笑)。
そのような私でも、諸事情で、一人では学校等に通園・通学することができない児童の送迎をお手伝いすることがあります。通学ですから結局、卒業するまでほぼ毎日、子どもと一緒に通うことになります。
人は「すごいね。」とか「なかなかできない。」とか評価のお言葉をくださるのですが、もちろん人間ですから、面倒だという気持ちもあります。だからこそ、少しでも長く継続できるように、なるべく無理はしないように心掛けています。
でも、皆さんにも分かると思いますが、子どもというものは何と言っても、何気ない甘えの仕草や笑顔をもらえるだけで、「自分が元気なうちは続けたい。」という温かな気持ちが自然と湧き上がってくるものです。
手をつないで歩いたり、少しおぶったりする中で、つい、自分の子どもや孫とダブらせてしまいますね(笑)。
ボランティア活動で印象に残ることは?
活動そのものは、みんな印象に残る良いものばかりです。振り返ると人のためにと始めたつもりなのが、結局、全て自分のためになっているのだということが、ボランティア活動の良さだと思います。
例えば、高齢者や障害者の介助や、精神保健的な関わりが必要な方の話し相手などがそうです。素人では不安もありますし、相手にも心配をあたえてしまいます。こうしたことが無いように勉強したり、資格を取ったりする訳です。献身的な美談とかそういうものではなく、本当に自分自身、学ぶことができたと感謝しています。
今後の抱負を一言お願いします。
私も、やり方を失敗したことは今までも多々あったと思います。でも、失敗にとらわれず、新たな、別のことをやるように心掛けています。
サロンである「優遊クラブ」も、今は皆さんに喜んでもらっているようですが、誰からも喜んでもらえなくなったら、また喜ばれることをみんなで考えて、それをやれば良いと思っています。
無理せず、ただ気持ちのおもむくままに、永く続けていきたいと思います(笑)。これからもよろしくお願いします。
沖縄出身の兼久さんは、まさに太陽です。一生懸命な情熱も、優しい温かさも持ち合わせて、いつも周囲の方々をリードし、安心させてくれます。この取材も、「優遊クラブ」でさせてもらいましたが、参加者の皆さんが笑顔で話しに加わり、「又野の吉永さゆり(=兼久さん)をヨロシク。」とおっしゃっていました。そこに居る全ての皆さんが、イキイキと楽しいご様子でした。